APARTA.DE CAMINO

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地元の魅力

歴史

 

 長森細畑の地は、江戸時代、日本の五大街道の一つであった中仙道が貫き、旅の目安・休憩地である一里塚が設置されていました。

かつての人と人の通い路、心の触れ合いが今も道標となって残っています。

 

 また、この地を流れる境川は、当時をしのぶ姿こそ無い小さな川ですが、まぎれもなく木曾川の本流でした。

織田信長が木下藤吉郎をして、稲葉山城(現金華山・岐阜城)を攻略するため築城した墨俣一夜城の木材は、1566年(永禄9)境川を利用し運ばれました。

 

 しかし、この川筋はその時代を最後に、責務を終えたかのごとく、大洪水によって南方に移流してしまいました。

1586年(天正14)6月24日一日の出来事といわれています。

 

 

※一里塚の前に設置された、たて看板の写真です。

近隣の建物

 

1.一里塚(いちりづか)

 

   徳川家康が江戸幕府を開いたおりに、日本中の経済・文化を江戸に集中し、かつその逆の流れを日本中に伝播させるために、5つの街道を整備した。

   その一つが中仙道であり、この地は加納の宿と鵜沼の宿の間に位置している。

   幸いにして、日本中で作られた一里塚の内の一つである細畑の塚は、左右道の両側に完全な形で残るものとして、極めて珍しい史跡です。

 

2.新橋(しんばし)

 

   アパルタ・デ・カミノの眼下に流れる境川(旧木曾川本流)を渡るために利用する橋、平成5年3月に改修・改築された。

 

3.両天橋(りょうてんばし)

 

   尾張徳川藩の歴代藩主は、名古屋城から遊興の為しばしば岐阜の地へ訪れた。その街道筋は安全と権威を目的として”御成り街道”と呼ばれ、一般庶民の街道と区別されていた。

   この特別な街道が岐阜の地を通過するにあたり、尾張藩は岐阜を治めていた加納藩に遠慮なく入る為、自らの地とするべく、岐阜を徳川の天領とした。

   こうして名古屋と岐阜の二つの天領と結んで両天橋と名づけられた。

   前述の新橋の百メートル上流に、この橋が架橋された。

 

4.細畑西公園(ほそばたにしこうえん)

 

   平成9年、敷地面積五百坪(1650㎡)の岐阜市立公営の公園として開設されました。今では、地元自治会、老人会、そして地元保育園児たちがほぼ毎日利用管理しています。

   お陰でとても清潔で静かな住環境が保たれています。アパルタ・デ・カミノのすぐ東隣です。